コンプレックス (岩波新書)
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地球上においては、われわれが「探険」し得るところが残っていないとさえ思われる。ところが現代もなお未踏の地を残し、「探険」の可能性に満ちている領域がある。それは、われわれ人間の内界、無意識の世界である。「コンプレックス」とは、その未踏の王国の名前である。
sta.icon雑にまとめ
コンプレックスや自我は(こう捉えれば辻褄が合うという)モデル
著者はユング派閥なのでユングのモデルに従っている
コンプレックスとの直接対決はしんどい
儀式でも神話でもいいので緩衝材が欲しいところ。。。
コンプレックスと自我
何らかの感情によって結合されている心的内容(意識、経験、夢など心の内容)の集まり
葛藤をひき起こし、自我の主体性をおびやかす
無意識内に存在している
多層構造をしている(複雑に絡み合っている)
心的生命の焦点であり結束点である
コンプレックスがないと人間は無になる、みたいな記述もどっかあった気がするsta.icon
経験の主体であり、意識内容(意識の内容)の統合の中心をなすもの
言わば外界と内界の接点
意思決定を行える
運動機能と結びついている
コンプレックスを取り入れる
その過程で対話・対決する
劣等性の認識を伴う苦痛
感情的で爆発的
泥臭い
コンプレックスであるかぎり、それがどろどろしたものであることに変りはない。これらとの長い根気のよい対決と対話を通じて、その中から徐々に、輝かしいものが精錬されてくる
ひとりの人間の成長には、何らかの意味の「死の体験」が伴う
人格Aを殺して人格Bになるようなインパクトsta.icon
負けてしまうこともある
例: 二重人格
自我(意識の中心)ではなく心全体の中心(ユングの仮定)
自我もコンプレックスも、自己の中に含まれている
だからこそ心の相補性がよく見られる
ある人格Aに相反する人格Bの登場は、Aがすべてというモデルでは説明できない
Aなどを生み出す、もっと大きな何か(自己)がある
儀式
夢
コンプレックスが人格化されて出現することが多い
睡眠中は自我の力が弱まる
睡眠中には、自我の力が弱まるので、コンプレックスの活動が活発となり、その動きを自我は夢として把握することになる……つまり、夢によって、われわれはコンプレックスの状態を知ることができる
その解釈結果が夢として出る
出たからといって理解できるとは限らないのがデフォらしいsta.icon
「え?この夢は何?何が言いたいわけ?」
夢は説得力が高い
弱まった自我に、イメージという強力な言語をぶつけてくるから
いわば強い体験をしている
無意識の層
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無意識は個人的無意識と普遍的無意識とにわけて考えられ、前者がコンプレックスによって構成されているのに対し、後者は元型によって満たされていると考えられる。 何が言いたい?sta.icon
コンプレックスは文化に依存しているということ
西洋人のコンプレックスと東洋人のコンプレックスは違う
日本人固有のコンプレックスもある(対人恐怖症など)
文化による違いの「元」を生み出す根本があるはずだ、ということ
それを元型(アーキタイプ)と呼んでいる
自己実現とは
普遍的無意識の層から送られてくる表象をいかに意味づけるかによって、創造的な生活を生み出していく
この過程のこと
「モデル」という切り口でノート取った
おわた
48%
コンプレックスの性質がちらちら出てるので、あとでまとめたさある
23%
認識できてるものはコンプレックスではないらしい
認識できてないが確かに存在してて乱されるのがコンプレックス
息するように文学作品から詳しく引用していて、こりゃ敵わんなぁと劣等感
10%
面白い
連想ゲームでコンプレックスを調べるってやつ
コンプレックスがあると連想に詰まったり連想内容がおかしかったりする
200年以上前にこういうの考えてるってすげえよなぁ